鹿爪らしいやつ

 私如何して人間は生きてるのだろうとか、私が生きてる意味ってなんだろうとか、如何して師という概念があるんだろうねとか考える人間が大嫌いで、私も考えてしまうことはあるんだけど、鹿爪らしくおあつらえむきのお顔を準備して、私はこんなことを考えているのよというように、こんなことを考えてしまう私を、ひとりぼっちじゃない、孤独ではなく、私への共有を求めてくる人間が嫌い。何故か私に話しかけてくるのはそういう話をしたがるひとばかりで、私はそういうひとたちにとって何らかのサインが見えるのか、私なら貴方に対してあらあなたそんなことを考えてしまうのね、変わっているのね、人生生き辛そうね、とか、言ってくれるように思えるのかしら。
 別に考えちゃいけないわけではないし、考えたって構わないし、それで勝手にこんなことを考えてしまうアテクシに酔うのも勝手なのだけれど、如何か我儘で構いません、私を巻き込まないでほしい。
 そうやって人間というものに苛々しているうちに、外からは聞こえてくるお囃子、好きなロックバンドが活動休止して、最近食べるのはお茶漬けばかりで、おなかはいつもすいていて、おかねはなくて、たまらなくてやりきれない。
 本は一日ちょっとずつ読むし、時々沢山買うし、ランボオの詩集はページが進まず、ゲームは相変わらずいつもやってるし、パソコンで書きものもして、夏課題には手をつけず、そういう怠惰が私を生かす。生きているうえで生かされていることはとても重要なのだけれど、でも生きているの前に生かされているを持ってきてはいけません。そうしたら誰かの為に生きなくてはならなくなってしまうから、他人が死ぬ時に、そんなことしたら親御さんが悲しむとか言う人間に、なってしまうから。
 痛みとか、他人の苦しみとか、そういうのを気付かないで、ばかみたいに鋭く貫くほどの鈍感を振りまいて、いろんな人を無作為に傷つけたい。どうしてモラルや道徳なんていうものはどこでも規定されていないのに、そういうのの中に誰でも他人を傷つけてはいけないとか、含まれていると皆が皆信じられて、正解で、自分が思っているモラルから逸脱する人間に対して疑いようもなく、苦し紛れにでもなく堂々と、普通に考えて、とかモラルとか道徳的に如何なのっていってくるような、他人を自分と同じように考える最高の身勝手をまとめて傷つけて、これが私なんですと主張出来たらどれだけ善いだろう。
 SNSにはいろんなひとが溢れていて、とっても沢山、自分が変わっている、特別だと思い込みたい人間とか、ほんとうにおかしい人間とか、根っからの常識人とか、痛々しい人とか、溢れてる。
 以前諸事情で学生限定のチャットアプリをインストールして使用しなければならなかったときに、そのアプリの利用規約の可笑しい部分をメモ的な意味合いで呟いてたら知らない高校生に絡まれて、数時間会話したことがある。大量の人間が関わってきて、私は一方的に責められるばかりだったけれど、私が理由や意味や根拠を聞いている時に、ブスとか死ねとか真面目ちゃんは勉強してろよとか、いやならやめろよとしか言われなくて、救いようもなく高校生は私が音とている以上にばかで語彙力がないのだと痛感して、その諸事情は姉だったのだけど、姉も顔の見えないチャットアプリでは理由を聞いてるときにばかとか死ねとかブスとしか言えないような子なのだろうかと不安になったりもした。
 成程私は真面目なのかもしれない。中身のない言葉しかふるうことができない現代の高校生に較べたら、私も高校生だけど、少しは真面目でちゃんと会話ができるタイプなのかもしれない。心底安心するよね。たぶんあっちからしたらわけわからない話ばかりするブサイクな真面目ちゃん、って感じで自分は面白くて話も判って流行も理解してる可愛い子、なんだろうけど、私は安心する。言葉をちゃんと使える子で本当によかったと、身勝手に安心する。
 ネットにおいて言葉は軽くなる。ものすごく、責任をのせたら墜落してしまうほどに、軽くなって、軽くなって勝手に飛んで行ってしまうものを地上から若い子たちは見て、言葉は軽いんだと勘違いをする。全然違うんだけど、思い込んでしまう。
 直ぐに表現の自由とか発言する権利を引っ張ってくる人間をこそ、責任を背負えないことを、言葉の重みを理解してないことを、自由や権利を行使したいのならその分の責任が伴うことを、理解していないのだと、私は勝手に理解したふりをして、手のひらを重ねて満足する。
 言葉の重みを理解するよりも流行を大事にするひとがいて、筋の通った発言をするよりも面白い話をする方が大事と考えるひとがいる。それは別に構わないのだけど、どんな言葉を振るおうとも、言葉の重みは、責任の所在は変わらないように私は思う。悪魔も神も私たちを統率しないから、それは最早仕方なく生きていく呼吸の根源として、そこにある。
 でもその責任って具体的には如何背負えば良いの。死ねといって、明確な殺意を持って、私が貴方を憎んでいる、浦んでいるということを伝える端的な二文字で、相手がほんとうに死んだとき、私たちの責任って、何なのかな。
 責任ってつまり、発言によって傷ついたひとがいる場合、その傷に見合う謝罪とか、申し訳ない気持ちを表現しろとか、そもそも誰も傷つかない発言をしないように、っていう、そういうことではないと思うんだ。
 だって言う側と言われる側どちらにも責任は伴う。たとえ突然ぶつかられて、相手がガラが悪くて邪魔だとあたられたのだとしても、理不尽と言われるかもしれない世界に置いて、ただぶつかられただけの私にも、問題がある。そもそもいじめだって戦争だって、100%どっちかが悪いなんて、あるわけがない。
 云うなら原爆だって、日本はアメリカに原子爆弾を落とされるだけのことをしでかしたわけで、それを棚に上げて自分たちだけが被害者ぶってアメリカに賠償とか、謝罪を要求するのは違う。確かに戦争において、民草を巻き込んで善いのかと言われればそこは近代の戦争の移ろいに問題はあるけれども、貫かれるべき正当なうえでの平等、民主主義を行使したもうとするのなら、政府を止められなかった国民にも、選択を誤った国民にも問題はある。だからこのことに関して(もう既に言われたけれど)国民ではなく無能な政府の問題に、国民に大勢の被害を生んだのは問題だとか、国民を巻き込んだアメリカが悪いとか、そういうのは少し違うと思うのです。私が好きな日本は江戸時代くらいに終わってしまったからそういう視線も入ってるのかもしれないけれど、生きていく上で可能性の生命が途絶えていく社会で、如何やって凍えを回避していけというのかしらとばかり、思うのです。
 ゲームで素材が落ちなくて泣いてます。あと三つなんだけどなあ。欲しかった探偵さん、60連爆死して今日10連分もらったけれどもう回さないから…今から次のイベントに耐えるんです…水着…推し鯖はCMにいなかったけどたぶん礼装で来るので……ええ、fgoです……。

お酒に酔う方がずっとまし

 バイトから帰ってくると汗と暑さと夕食なんて気分にならずに、そこから暫く氷だらけのお茶と心中して数時間してようやくおなかもすいて御飯を食べる、そんなことしていると食事の時間はぐんと遅くてもっと楽な仕事はあるのではないかと考えてしまう。仕事を覚えるのが遅いのでそんなものないんだけど、働けてるだけましというところかしら、過労死するひともサービス残業に苦しんでるひとも溢れてるのに仕事がなくて暮らせない人も溢れてる。それでいて働かなくてもお金が入ってくるひともいる。たまらない世界だ。

 唐突にツイッターとかSNSで少し驚いた感動したとかのツイートの、何万RTとかされてるやつにまったく関係もない赤の他人が、言えば赦されるとでも思ってFF外から失礼しますとか言っちゃって、好き勝手言ってまた言えば礼儀正しいとでも思ってるのか、初対面の人間に突然話しかける時点で無礼だよ、ネットだからとかSNSだからとか関係ないよ、FF外から失礼しました、堪忍やで、そういうのとか、そういう何気ないツイートにまたも赤の他人がほんとに今の政府は無能ですよねとか、無理矢理政治と関連づけさせてくるひとたちもいる、最高に気持ち悪いよ、そういうの。

 ネットのなかの世界はなんだかんだ現実の世界と対して変わらない。私たちは同時にふたつの世界を生きることは出来ない。例えば会社での私、バイト先での私、家族の前での私、学校での私、大嫌いな生徒指導の先生の前での私、そういうのは世界が違うなんて大それたものではなく、小宇宙、共同体、コミュニティの違い。学校というコミュニティの一員である私に求められる生徒としての顔。家族というコミュニティで求められる、娘としての人格、態度、それと併用して妹としての、姉としての態度、人格、口の利き方。そういうものを私たちは常時切り替えながら生活している。

 その切り替えが下手くそなひとを、ひとは八方美人ーここでいう八方美人とは場に合わせた切り替えが出来ないから取り合えず何も考えずにいい顔をしておけばなんとかなるだろうと浅はかな考えのもとでしか動けないひと、とか逆に変えなさすぎて精神的に幼いと、言うのだろう。

 私は相手によって態度を変えたりしません。そんなのは自分に嘘を吐いてることになりますなんていうひとがいる。何もしないでありのままの自分を受け入れてもらおうだなんて傲慢がすぎる。態度を変えるってのは嘘を吐いていることでも自分をよく見せることでもない、ただ正当性とずるさの真ん中を隔て、ルール適応外でより善く生きていく為のマナーだ。どれだけ生きづらくっても私はひとによって態度変えたくないわ!みたいなひとはもう放っておけば善い。意外と多いひとたちで、一昨日くらいにも言ったけど、生きづらいわたくしに酔ってるひとだから。

 

 心理社会的モラトリアムだ。近代社会になって、いろんなひとと関わることになって、それは決してひとつの顔でいられなくなる、職業選択の自由、ほぼ義務的な学校への通学。八方美人を責めることは出来ない。社会が早すぎる。それでも周りは鈍間と尻を叩くことも、手伝ってあげることも出来ない。民主主義のもとに成り立つ、自立精神だから。

 ゲームのために目を離している間に書きたいことを忘れたのでそろそろ。

vtF

書き込みをしてなかったおよそ20日の隙間を埋めるようですね、疲れていて足は一歩も歩きたくないと言っているけれ手だけは元気です、誰も見てないからいいやと思いながら、今度は誰も悪口を書こうかしらなんて。学校に行かなくてはならぬ意味も社会に貢献しなきゃいけないわけも何にも判らなくて、生きている理由なんてやってるゲームのデータのためと完結してない本のため、たぶん大それた理由よりもそんなくだらない理由の人間の方が案外しぶとく長く生きるのだろう。
生きていたいのではなく死ぬのが怖いだけな今の大人の、子供の、誰に聞いたって正しい答えなど得られるわけもない。偉そうな言葉を並べる前に首をつって死んでほしい。
政治ごとも経済も善く判らないけれど今の日本はいやな感じがしますし、近々何かあって世界が滅んだら手をとって喜んで一緒に無理心中をしよう。最早人類繁栄なんて壮大で下品な目標よりも目先の不幸に対処しなければならない時代だから、いっそ誰かが誰かのために死んで呉れるのが当たり前の世界なら善かったですね。

平和学習で、修学旅行で定番の原爆ドームに行くので、原爆関連のビデオだかDVDだかを見て、先生が感想を書けと言うので、書いたら、ひとの気持ちが判っとらんとか言われて、勘弁してほしい。
嫌なこと、忘れたいこと、苦しいこと、そういうもの全部憶えていて、忘れちゃだめで、未来に受け継いでいかなくちゃいけなくて、そんなのが当たり前になっているのはどうして。
ビデオのなかで思い出したくもないという老人をせっついて原爆の話をさせるひとたちに同調する先生方が私をお説教するのは如何して。
原爆を、ア…カを赦せないと言っているけれど、少なくとも日本にもそれなりの理由はあったのではなくて。政府を止められなかった国民にも問題があったのではなくて。凡てを棚に上げて被害者ぶって赦せませんとか言っているのは如何して。
貴方の愛するものを私が愛していなくても、誰も責めないでほしい。

せいいっぱいですもの

私ずっと愛してほしかったし、きっとこあれからもずっと、愛の為ならなんだってするし、それが女として素晴らしいことなのか判らないけれど、兎に角愛に飢えていて、愛してほしくて、誰でも善いわけでもなく、貴方が善いと断言できる根拠もなく、其れでも私を愛してください、そして本を読んだ、うろ覚えで、失礼で、本当は、ただただ逢いたくて、キスしたくて、抱きたくて、みたいな、そんなの、とかげ、吉本ばななさんの、読み終わってからあれとおんなじ、おじいさんのランプ、これもうろ覚え、青空文庫にあるのね、おじいさんがランプを壊すはなし。言葉に出来ないうわあああな気持ちを凡てとろかしてもらいたい他人事、この本が好きだけどもう読みたくはないや。
あとはそう、ソクラテスの弁明も読んで、ソクラテスお前、ええ加減にしてやと思いつつ、まったく反省してないし何が悪かったかも結局判っていないようなソクラテスはいわば天才少年が自分の生み出した独自の方式を理解してもらおうとあたりを駆け巡っているだけなのかもしれない、悪気もなく悪意もなく、ただ配慮だけが足りなかった。
テストお勉強結局してないんですけれど、情けないことに、現代文と倫理は学年1位いただきまして、嬉しいわあ思うてたんですけれど、でも今では重荷しかないのね、次も善い点数取らなきゃあきませんし、優等生さんに睨まれますし、同じ時期に男子がキチガイキチガイ私のこと呼びますもん、堪忍してほしいわあ。学校行きとないけど休む理由も思いつかれませんし、ただじっと本を読んでゲームをして、時間になったらバイトに行って帰ってきてちょっと書きものをして本を読んでゲームをして慌ただしく眠るような、私にはそれしか出来ません。
楽に生きたいです。楽に、私のささいな言動にいちいち誰も注目しないでほしいです、自意識過剰にしか思われないようなくだらないお願いです、授業中にこっそり書きものしてたいです、授業中いつも何書いとんのなんて器官で欲しいです。私はそれしかないのです、言葉に縋りつくしか出来ません。
生きる理由を考える人間は嫌いです。七割はそんなことを考える自分に酔っているひとたちです。そんなこと考えなくても生きていけるのに考えてしまうわたくし、あー私の性格って生きづらいわ! そんなひとです。私の周りにたくさんいるし私もそうかもしれないね。一割はそんなこと考えなきゃほんとうに死にそうなひとたちです。一割は世にもお偉いこうべを下げたくなるような哲学者です。今の時代は減少する一方ですね。最後の一割は学生とかが多い気がします。七割の考えてしまうわー系の人間が教師だと生きる意味を考えてみましょうとか、そういうことをしかつめらしい態度で言われてしまうのね、それの被害者というわけでございます。
泣きそうですね、せいいっぱいですもの。

生きていくには果汁100%のセーターが足りないわ。

結構久しぶり。心は生きてない。身体はくたくた。ぼろぼろというのは汚れてしまった時に使いそうだからくたくたで我慢する。言いたくなくてもぼろぼろと呼ぶよりはずっと善し、ゲームは相変わらず好き、本も読む、最近パソコンは一度ソ……クの問題で数日繋がらなくなって以降復旧しても時々オフライン、古いからかしらん、昼も夜も眠りそうになる。冗談が過ぎる子にちょっとわきまえたらと長年の溜めこみを言ってみればでも度合なんてひとそれぞれだよねと言いだす始末。ええ、そうね、確かに常識も優しさも何でも個人差がある。私と貴方の常識の範囲が違ったときどちらが合わせなくてはならないの? 確かにそういう問題。でも他人に迷惑をかけている時点で、これが私のいじり方なんですよ、なんて言われたって通用致しませんのよ、する側ではなくされる側の問題になるのは、それもひとそれぞれでしょ?なんて言えない次元の問題。もしそこまでいや私はする側としての度合いがあるからなんて言いだしたら、sろえはただのとりあえず個人の自由をふるっておけばよい子どもの所業。
ああいやだわこんなお話をしに来たのではない、とりあえず怒ってはいないけどひとが真面目な顔をして話しているときに茶化すのは貴方の常識がどうかは知らないけど、私的には如何かと思うのよね。
転げ落ちるほど優等生のような女だ、成績が善いことを頭が善いこととイコールにしているようなひとだ、私が貴方はほんとうにバカねと言えばあなたよりも成績善いけどとしか言わないひとだ、極めつけて関わり合いになってもそりが合わない系の女子だ、いったいどこで出会ったのか、善く覚えていない。
けど社会的に見ればあの仔の方が価値は高い。使い勝手が善い。扱いやすい。私はきっと刃毀れして死ぬだろう。
けれど私は私が善い。あの子でなくて善かった。強くそう思う。
警察の上層部は善い大学を出たから頭が善くて有能で、なのに下っ端が無能だから警察がうまく回らないと考えるようなひとでいなくて善かった。私は失礼にも強くそう思うし、彼女も私にはなりたくないだろう。
ならばこれはきわめて妥当な采配による、唯一のデメリットなのね、我慢致しましょ、あの子も私に対して我慢しているだろうから。

自由さえ軽いわ。

 少しご無沙汰している間にアイドルの結婚宣言やフリーアナウンサーの病死など芸能界は大騒ぎで政界も皆して首相を引きずり降ろそうとしている空気。日本は大変だわ。綺麗な世界が消えてる。自由さえ軽いわ。
 来週の月曜日から期末考査なのでバイトはお休みなのですがお勉強はさっぱり。
 恋人の片方に相手の何処が好きと聞くと優しいところとか顔とか経済力とか、兎に角色々あげてくれるのね。でもそれって逆にいえば「優しい」「顔が善い」「経済力」がある人間ならばお前でなくても善いのだよ。今の社会はなにもかもがそう。アルバイトひとつとったって、応募条件があって、この資格を持ってるひと、何時間働けるひと、それで面接でそれなりに人間としてちゃんとしてたなら、お前でなくとも構いやしませんけど、まあ御雇致しますよ、とそんな風に。私は貴方に求められていない。私の能力や資格だけを見ていて、それを持ってるなら隣の女の子でも構わない。
 そんなことに私は耐えられない。私だけを求めて欲しいという、女らしいエゴ。私じゃなくても善いのならここにいたくもないとさえ。私にそんな突飛した素晴らしいところなどないというのにね。
 昔なら、今の社会じゃないのなら、好きな男にだって、私を好きになってと泣くことが出来た。どうして私じゃだめなんですかと。それはなんて美しいのかしら。でも今の世の中は違う。私じゃなくても善いのでしょと言って、相手が、ためらいもなく、その通りではありますけれど、貴方でも善いから、そう言うことで御座いますと、愛情、恋慕、けれど私だってお前の何処が好きと聞かれても、顔、喋り方、聲、息遣い、陽にあたる美しい頬、冷たい横顔、細い指、そんなものしか、好きじゃないし、求めちゃあいない。それがなくなったのなら、私だって貴方を要らない。酒を飲んで老いるだけの男なら、私とて要らぬのよと。
 とてつもない孤独が私を蹂躙する。誰もが私が私である為に、何もない私を愛してくれるひとを探している。ありのままの君で善いんだよ。君の代わりなんていないよ。そんな言葉を、求めている。
 けれどはたして今更外見も能力も見ずに、そのひとの何を以て愛せるかを判定するのだろう。それともそのひとが持ってる能力や資格や外見などが、そのひとの生き方、努力の結晶、そのひと自身なのだから、それを見れば善いのじゃないと、そんな話になってしまうのかな。
 コーヒーがなくなってしまったのでそろそろ。

ぬるま湯ハッピー王道ピュアラブストーリー

あびこって名前を見たとき中国の方なのかしらんと思ったのですけれど、我孫子我孫子武丸、本屋に行った時にたまたま話題本として取り上げられててそのときたまたま沢山お金を持っているときで、たまたまその本屋さんが三千円以上お買い上げで五百円につき1ポイントのポイントをプラスで五個あげますよ、なんていうものですから一緒に買っちゃいますよね。精文館のGWフェアでした。企業の策略にまんまと乗せられてしまった。 殺戮にいたる病。  感想とか得意ではないのですけど性的倒錯者のイカれた連続殺人事件を追っていくだけかと思ったら頭がこんがらがるラストシーンで評価がぐわりと変わってしまうやつでした。あれとおんなじ、「彼女は存在しない。」  何もかもが不快で救いようのない話なんだけど、不快を不快で終わらせないタイプ。今僅かに読み直してようやく理解したんですけれど息子さんめっさ善い子やったやないですか。母の雅子と同じように(このひとはやり方がどうであったかとて)家族を守ろうとして父親の言動を監視していた、ということだったのでしょうかね、たぶん。斉藤の存在はどれだけの価値があったのでしょう。  でもすっかり騙されましたねえ。私が考えたのは夫婦の営みももうご無沙汰のような夫が妻のスカートをめくろうとした息子(信一)をぶったりするかなあみたいな違和感だけだったです。頭を抱えたい。  全体的に家族愛ってやつですねえ。今のこの日常が永遠に続けば善いと思う。時々家族に苛立ったり多少の不満はあれどぼんやりとした曖昧な、ぬるま湯のような幸せに今浸っているからそのままでいたい。ぬるま湯から出るときが一番寒いから。結局ひとって自分の為にしか生きれないのだけれど、そのなかで自分の為に外部に働きかけるエネルギーが他者にどう影響を及ぼすかを考えられる人間が、いわゆる素晴らしいひとなわけで、でも迷惑をかけていることを自覚することは確かに必要でもそこに罪悪感とか申し訳なさとか、憶える必要はないと思うのですよねえ、これが。  でもあらすじに語弊がありましてううむそこだけ騙された気分だ。凌辱の果ての殺人。少なくとも3人くらいはセックスを合意だったわけだからなあ。やっぱり父親はイカれてるんだけど、どこでイカれたかとかイカれ具合の成分を徹底的に説明してくれるから誰でもイカれることができる一冊、みたいなコメントも程良くイカれていやがると思いました。  永遠の愛って存在しますかねえ。そもそも私たちが永遠じゃないのに、有限な生命体が無限のものを抱えようだなんておこがましいのではないかしらん。魂は不死である? ソクラテス? 笑えない。  取り敢えず今度はほんわりふんわかぬるま湯ハッピーなラブストーリーでも読むことに致しましょう。以前は軽くて意味もなくて何も考える必要がないって理由だけでラノベを読んでたけど最近は買ってもないからそんな本があるか不安ですけれど。  でも一方が死んでくれたら永遠の愛って自分の努力次第で存在できるのかな。死者は愛を語らないし、私は愛を誤魔化さない。

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