勘違いも甚だしい

 倫理の授業で勉強したソクラテスを思い出していたのですけれど、いい加減ソクラテスの弁明とかプラトンの作品読みたいなーとか思いながら読み溜めている本は多いし金はないしそんなこともうしばらく出来るわけもないのですが、ソクラテスのいう善く生きる、というものでしたっけ、彼の言葉が喉の小魚の骨みたいに引っかかってはるのです。善く生きるってどういう生き方なのでしょうねえ。そんなものが決まっておりましたら、マニュアル通り皆善く生きようと必死こきますけど、それが判らんから自分の本能に従ったりとりあえずがむしゃらしてみたりして人間の個性と呼ばれるもの、私たちが生きるために大事とするものの活用性を見れるというわけであると思うのですけれど、彼ついで福徳合一とも言ってて、つまり徳の在る生活こそが幸福、彼の言う徳、アレテーってのは知である、つまり知識を持ってることが幸せなこととか言うておりますけど、私それでびっくりしちゃって、笑ってしまったの、それを思い出していたのです。  知識がないと幸せになれないだなんて、なんて高尚な。そして高潔な。それでいてなんて俗物なのでしょう。  彼の言う幸福とはつまり善く生きる、というもので、その彼の言う善く生きる、というのは突き詰めれば道徳的に認められる素敵な人生、ということなのでしょうかね。個人の話ではなく全体のはなし。なるほど彼の選ばれた死刑、それもしゃあないのかもしれません。あのひとが求めたのは道徳的幸福、道徳的人生、道徳的生存。その道徳が時代によって移ろうのだとすれば、それはその時代を生きるひとの所為。彼が民衆裁判で死刑にされてしまったのも、また、彼の願った道徳の枝別れなのでしょうとか、そんなことをリフレクションシートに書くことにしまして、まあどうせ意味が判らないとか書かれて終わりなのです。あの先生はそういう先生なのです。いえまあ、理解してくれないならそれでよろしおす。貴方の頭のシャンプーの節約に協力したいわけでもありません。

(c)etn 2017-